ある臨死体験者との対話① 価値が全部とんだときに残るもの?
【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】
真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。
しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.今日は、臨死体験者の方とご一緒しました。佐藤先生にご自身の体験を確認してみたいということで。
A. いいですよ。
Q.臨死体験をしたときに、自分の完璧さに気づいて、世の中や、他人を変える必要がないと。
そのもので本来の姿で、完璧な存在だとわかりました。一回死にかけたから、その境地になれたと。
A. 価値がとんだときに。価値っていうのは現世的なお金とか地位、肉体もそうだし、生老病死、
すべて、とっぱらったときに、残るものがあるわけ。残るものだけあればいいと。
あとは、全部消えていくものだから。だから、残るものだけに気がついたということでしょ。
Q.自分が完璧だって思ったということは、神なんだって気づいたと。
A. 何かをやることはない。行くところもないし、得るものもないし、努力もいらないし、考えることもいらない。
失わないし、得るわけでもないし、最初から完全完璧だと。何もいらない。
雲で覆われていても、いつも太陽は輝いている。
Q.一度死んで、また地球に戻ってくると決めたとき、
何かを達成しようとかはなくて、存在するために戻ってきたと感じました。
A. 存在を知るためにね。それを私は前提といっている。
それを顧みるためにきた、と捉えていいんじゃないですか。