日別アーカイブ: 2015年6月24日

どこにいても宇宙空間にいるということは、もう落ち着いている?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.今の全容の話を聞くと、観自在のほうですか?

 

A. 本当の全容は、神自在です。究極の全容は神自在。自分たちの観自在はどこまでいっても、部分なんです。

宇宙から地球を見ても部分にしかすぎないわけ。

 

Q.本当の全体は指せないというお話もありましたが、久遠の宇宙は全容といっていいのかと。

観るという言葉の印象のせいだと思いますか、何か違和感を覚えるんですが。

自分たちが認識するか、しないかに関わらず、自然法爾であるべき姿に落ち着くのを見るとか。

 

A. 落ち着いているということをわかる、もう最初から落ち着いていますよということなんです。

ものを落とすでしょ。その瞬間に、当然スピードがあるわけです。

それをものすごい勢いで、0.001ミリの写真でとっていったら、みんな、そこに落ち着いているわけ。

そして、下にいっても、落ち着いているわけ。最初からすべて、落ち着いているわけ。

ここにいようが、ここにいようが、宇宙空間にいるということでは、落ち着いているわけ。

だから、変化も実はしていないわけ。そこにいるわけです。どうですか?

 

Q.その、落ちついているってところなんですが、パラレルワールドのことをご質問したときの答えもなんですが、

私たちの意識で落ち着いていると捉えきれていないだけで。

 

A. 私たちは、下に落ちて、ここで落ち着いたって。それを今教えたでしょ。これも私たちの認識の教えなんです。

私の言う在は、どこにいても落ち着いているから、場所は関係ないんです。

 

Q.でも、人間が、自動制御で整ったと認識する。

例えば自然に問題解決したとか認識する世界は、もともと解決している世界があって…

 

A. そういうことです。

 

Q.自分たちは気づいていなかったけど、もうあったと。泥沼じゃなくても、もう足は地についているんですよね。

 

A. 例えば、地球に、人類を全部どけさせて、どこかに移動させたら、ある部分の方に向かっていって、逆流するかのごとく。

私が生まれた町はまさしくそうよ。今は青々として、草でぼうぼうなわけです。

私が子どものころは、そんなんじゃなかったのに。草で繁栄しているわけです。

でも、それは落ち着いているわけじゃないんです。それは流れの中の一過程にしかすぎないんです。

 

Q.やっぱり在の落ちついているのとは、全く違いますね。

 

A. そうです。