心の臨死体験? 心の死のほうが肉体の死よりも全体になりやすい?
【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】
真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。
しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.臨死体験者の彼女と、いったところは同じだという印象ですか?
A. 同じじゃないですか。ただね、違うのは、彼女は肉体の臨死体験でしょ。私は心の臨死体験なわけです。
肉体の臨死体験よりも、心の臨死体験のほうが、ある部分を体験しやすいっていうか、より見えてくる世界がある。
肉体っていうと、個体になるでしょ。心までになると、より、みんなとつながっているものになりやすい。
だから、その意味で、より全体像がわかりやすいということですね。
Q.心の臨死体験のほうが、肉体の臨死体験よりも…
A. 全体にいきやすい。心イコール言葉だから。私の仕事は、その心を言葉に現すのが仕事なの。
Q.神霊体ってわけたときに、佐藤康行は霊のところに死?
A. そう。その心が、臨死したんです。そうしたときに、その隣に神があるわけ。
肉体で捉えると、どうしても、まだ心があるわけ。
Q.以前、心と体を一緒にしている図があって。
A. 一緒にしても、わけてもどちらでもいいんですよ。
Q.彼女は、肉体はほろんでも、心は残っていたということですね。
A. そうね。私は、その心が無くなろうとしたの。
Q.これは(驚)。できる限り、言葉で表現していただきたいのですが。
A. いいですか。私は、肉体もあの世に行きかけたの。脳出血で。
どちらの苦しみが苦しかったって、それ、比べものにならないです。
Q.心のほうなんですね。
A. 私は、肉体が死にいきかけたとき、かなり冷静でした。
心が消えてなくなるときには、とても冷静ではありませんでした。
あの苦しみは、すべてに勝る苦しみだと思う。あの苦しみに勝るものはない。
肉体の苦しみでは何てことないから。