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ある臨死体験者との対話③神の完璧さとは?わかってくれないのは当たり前?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.私は、周りの人に完璧さを見出すんだということを言っています。

こちらの世界に戻ってきて、周りの人の完璧さ、自分の完璧さを発見するということを。

 

A. 逆に質問しますが、完璧さっていうのは、何を完璧と捉えているのか。

 

Q.存在が完璧。存在しているだけで、その人はそのものであるという意味で完璧と。

 

A. 原因結果の完璧と、神としての完璧と、どちらですか?

 

Q.神として完璧と。

 

A. だったら、それでいいと思います。

 

Q.私が周りの完璧さと言っていることも誤解されているかもしれませんね。

 

A. すべてが誤解だと思います。理解される必要は本当はない。

 

Q.自分の活動も、意味があることなのか、わからなくなってくるんですが。

 

A. そうね。それは、このままだと永遠にわからないと思う。

わかったということ自体が、認識の中に入れちゃったということだから。

わかったというのが、一番わかっていない世界。

このリンゴは、こういう味ですよってわかったっていうのは、

リンゴの味のある一面がわかったというときの味であって、リンゴそのものではないわけです。

自分の舌と、リンゴの味が合わさって、できた味覚なんです。歯ごたえも全部そうです。

 

Q.私を介して伝えているんで、存在のことを、宇宙エネルギー、生命エネルギー、光在と表現していますが、

それが伝わっていないのかなと。

 

A. 何を伝えるのか、私にはわかりません。私がこのリンゴを食べて、こういう味しましたって。

それに何の意味があるのか。実は、その人が、このリンゴ舐めていた、ずっと。その人が歯ごたえを感じた。

舐めていたら、かじって、汁が出る味は永遠にこないわけです。

永遠にこない、舐めてる歯がない人に、歯がある自分の味覚をいくら話ても、

わかってくれないと話していること自体がナンセンスなわけです。