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どんな風に見えようが固定せず、神という前提から揺らがない?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.今、前提が、神と言い切ってもいいのだけど、証明できないから前提という捉え方をしていて、

そこまで重要に思っていませんでした。

 

A. 雲がある、しかし、太陽という本質の橘さんがいる。

それを前提にすると、だんだん、雲が変わってくるでしょ。崩れてきたりする。

そうすると、神という、もし形があるとしたら、その雲の影で、太陽の形が違って見えるっていうのがあるでしょ。

でも、前提っていうのは、絶対変わらないわけ。

そうすると、これが、薄ぼんやり見えようが、完全に消えようが、全く最初から変わらないわけ。

わかります?

 

Q.変わらないところが在なんだっていうことはわかります。

 

A. 在っていうのは、存在そのものなんだけど、前提っていうのは、そのように認めるということです。

太陽は見えなくても、太陽は煌煌と輝いているという前提でやる。全然見えなくても。

少し見えたら、太陽はこうだってやっちゃうと、雲の影からちらっと見えたり、

雲でまだ薄ぼんやりになってる。それを神だと思っちゃう可能性があるでしょ。

それは、どんな風に見えようが、変わらないっていう前提なんです。

 

Q.相手が変化しない場合は、こちらが神という前提をおけていない可能性がありますか?

 

A. 神という前提をおいてやっている人は、私が知る限り、会ったこともないし、見たこともない。

これで、医療をやるという発想も聞いたことはないし。

 

Q.もちろん、自然治癒能力など宇宙の営みの力もありますが、

宇宙そのもの同士が神鏡することで、変化するというのは、すごいと思います。

 

A. そういうことです。その力に合わせる。川の流れの流れているほうに合わせるんです。