日別アーカイブ: 2023年8月12日

真我に焦点を当てた結果…

ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は8月14日です。

 

Q .今日は待ちに待ったグループカウンセリングで、実は私、2月の半ばくらいから悩みが出てきた。その悩みについて学長にお尋ねします。

ただその悩みが2月の中旬くらいに消えたんです。

なぜ消えたかって言うのはわかりませんが、橋渡しをしたから消えたかもしれませんし、

その中である程度真我の次元が上がったからかもしれません。

 

実は、私は受講歴6年半です。学長のCDだとか、ズームとか色んな書籍を読んだりして、

学長がキーポイントとして真我を継続していくためには、ぶれない、ずれない、それから混ぜないというふうに言われてます。

 

私は、最初はまぜないぶれない、ずれないは非常にわかって来て、例え真我を言うものを焦点を合わせてやっていくのは良いんですが、

混ぜないっていうのがよくわからなかったんですね。

 

何を真我に混ぜたらいかんのか。私が真我をやる6年前に稲盛さんだとか、村上さんだとか斎藤一人さんだとか、色んな方の本を読んで、

真我というのはそれから唯識層の中に真我というのは人間には必ずある、ということが書いてありました。

 

ただそれを学長に会って、真我のYSメソッドでいかに力を楽にして、真我を継続するかがポイント。

そのポイントが今言われた混ぜない、ぶれない、ずれないなんですが、なんぜ混ぜちゃいけないのか、何を混ぜたらいかんのか、

 

私が二週間たった時そんなのはどうでもいいのだ。

学長が混ぜるな、混ぜるな言ってるから混ぜるなだけで、混ぜても自分が本当に真我があれば、

遠心力で自分の糧になるものは、残っていくし、糧にならないものは、自分の次元を妨げるものであれば離れていく。

なんて自分は愚かな人間なんだ。こんな事、悩んで。真剣に時間を無駄にしちゃったっていう事が。私は今

 

佐藤康行.質問は何ですか?

 

Q .私はやっぱり発信者にこれからなりたいので、新しい受講者が、「学長が混ぜないって言ってるけど、どんなことですか?」

って言った時に、パッと「それは学長に聞いてください」って渡すんじゃなくって、

 

自分は学長からこう聞きました。そしてこうだと思います。私はこういう思いがありますと。

今日は聞きたいんです。混ぜないとはどういう事なんですか。

 

佐藤康行.私のやってるのはアウトプットでしょ。例えば宗教とか色んなスピリチュアル。全部ほとんどインプットなの。真反対なんです。

 

だからまさに今の話は、今日、最初から言ってた。ゴミの心の受けに金メッキをしたり、ゴミがこのまんま発行してきて人に。

 

だからそれと混ぜちゃまずいでしょ。そのゴミの下に黄金がガーっとあるわけ。その黄金が山ほどある上にゴミがある。その上に金メッキがある。その金メッキを信じちゃったら、いつまでも会えないじゃない。

 

それは具体的に他の宗教。偽物みたいな宗教の事でしょうか。それとも本当に仏教とかキリスト教

 

偽物のインチキ宗教は山ほどあります。でもそうじゃない宗教も。

 

例えば仏教でも千日回峰だとか達磨さんなんか9年くらい足が腐るほど座禅をした。でもほとんど悟れなかった。ほとんど悟れない。

 

それで私はほんの数分で悟らせることが出来ます。

 

Q.学長がやってるのは凄く効率的で時間がかからない。多くの人に真我というのを出させていただいてる。

その宗教というのは自分で修行したり、自分で勉強したりする時間をかけてやる。それはわかりますけど。

 

じゃ、最後にもう一回。サイババっていう方がいたでしょ。一時大ブームになったでしょ。

 

普通宗教っていうのはああいうブームになっちゃまずいんですよね。なんないですね。なぜかっていうと、こういうふうに言ってる。

 

「私は神の化身です。あなたたちも神の化身です。それは私とあなたたちの違いは、私は神を自覚してるけど、

 

あなたたちは神を自覚してません。その違いなんですよ」って仰ってます。

 

じゃ、「どうやってサイババさんはみんなを神の自覚をさせるんだ」ったら。だから、それはおかしいでしょ。

 

私は本当に自覚をさせて、出てきたらこのビフォーアフターを作って、今日もガンとか無精子なのに子供が出来た、と今言いましたけどね。

 

お医者さんが来てね、ガンが消えたのはもちろんビックリするけどね、一番びっくりされたのは、これは日本でも有名な医者です。

 

「無精子なのに子供が出来た。こんなことは世界にない」っていう。これはこれだけで世界を変えれるって。

 

だから、それは真我に焦点を当てて、それをやった。その結果なんです。

 

だからそこの所を事実として証明できるという事。ま、一応ここまで。