雑念があったほうが真我瞑想では深く入れる
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は1月27日です。
Q.真我瞑想しているんですけれど。いつでもどこでも、できるということで、電車の中でもできるということを、書いてあったんですけれど、5分を短縮してやればいんでしょうか。
何か、やり方があるんでしょうか。
佐藤康行.そうですね。私が、編み出した真我瞑想は、もう、私はいろんなものを、発見しました。
その中のトップクラスの発見でもある。
要するに、普通座禅とか、瞑想っていうのは、騒がしい所では、やらないでしょう。
騒がしい所だと、雑念があって、邪魔をするよね。
私が、やっている真我瞑想は、雑念、雑音や、そういう騒がしい所のそういう雑念、雑音の妄想を、利用するんです。
全部利用する。
雑念が、いっぱいあった方が、深く入れる。
深く悟れる。
だから、今いろんな問題を、抱えている人が、ここの真我にこうして、問題のおかげで、真我を、追究できるでしょう。
それを、ぐっと短くして、5分で、どこでもできる。
電車で、つり革にもちながらでも、すぐにできる。
5分ぐらいなら、すぐできるでしょう。
歩きながらでも、できる。
もう、とっても便利な瞑想なんです。
だから、完全にご自身のものにしてみてください。
雑念、妄想大歓迎だ。
むしろ、それがある方が、深く入りやすい。
うまく悟りやすい。
Sさんなら、すぐに身につけることが、できると思いますので、時間は、2分でもいいです。
やらないより、いいですから。
いつでも、どこでもできるから、やってください。
真我瞑想と真我の実践を唱えるのを、うまく組み合わせるのも、いいですね。
だから、目をつぶって、無い、無い、無い、いろんな雑念、雑音が無い。
色んなものが、無い。そのへんの見えるもの、見えないもの、無い。
そして、真我の愛しかない。真我の実践と唱えれば、いいわけです。