性的な虐待は愛と区別しにくい?佐藤康行が揺らがないから出せるもの
【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】
真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。
しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
『存在そのものの世界を現代に活かす』
そのことの証明を、6月13日㈯光が丘にて、佐藤康行本人と実証者が現します。
会場にて、お待ちしております。
Q.フロイトはヒステリーの患者さんの中に性的虐待を受けていた女性が多いというのを観察したようです。
A.あの、性的虐待もあるでしょうけど、そればかりじゃないと思います。
虐待っていっても、いろんな虐待ありますし。
フロイトさんは、たまたま、そういう人もたくさん見たのかもしれない。
だから、心の傷っていうのは、人間って、転んでも痛くて、ぶつかっても痛くて、殴られても傷だろうし、
だから傷は傷なんです。
殴られても傷でしょうし、自分の欠点を言われていじめられても、傷つけられたと思ったら傷。
その傷の触ったときの痛さは、同じなわけ。どういう傷でも。
性的虐待っていうのは、区別がつきにくいわけ。
暴力的な傷は嫌だからわかりやすいんだけど、性的なほうは、一応愛の象徴だから、
父親に強姦されたのなら、自分の中にも女としての欲求がある。
ある意味では欲求を満たしている感じもある。だから、見分けがつかないわけ。
そこが、難しいなと。ぶん殴られているのは、別に欲求していないでしょ。
愛と区別しやすい。でも、性的な虐待は愛と区別しにくいわけ。お父さんを愛している。
その愛している人にそういうことをされる。だから、区別つかないじゃない。
そういう意味では、大変難しいなと、この30年ぐらいの研究でわかったことです。
Q.性的虐待で、男性恐怖症が強く出る方もいると思いますが、
逆にトラウマを明るく話しているように感じられる場合もあって、矛盾を感じるときがあるのですが。
A.全部、裏表だから。心の学校だから、そういうのも全部出せるところがある。
本来は、矛盾がない可能性がある。矛盾がないって言っているのは、氷山の一角だけ、
心の学校に来たから隠れているものがでる。でも、表上は違う行いをしている。
私から見ると全然矛盾に見えないんです。ここだから、佐藤康行だから、
普段出せないようなことを、出せる可能性がある。安心して出せる。
まあ、出しても私は揺らがないから、ということなんです。
だからね、これは氷山の一角で、皆表面に出ているものを見るから、その奥が出たときに矛盾を感じる。
だから、人間でもそういうものがある。