日別アーカイブ: 2015年7月2日

全部神、神の一言でいい? 天国の中の泥沼は寂光、すべて光?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.以前は仏教書を読み漁ったと。そこに答えを求めた時期も。

 

A. 狂ったようにね。まあ、自分を救うためから始まって、そのときにポーンと抜けて、全部神だってことになっちゃったの。

すべて。神の一言でいいんだと。それを言いたいがために、遠回りで書いているんだと。

なんだ、一言じゃないかって。そうなったら、神からすべてを観ればいいんだってなったの。

神を求めるためのツールというよりも、全部解いていけばいい、そういう感じ。それは未だに変わらないよ。

 

Q.一回、仏教書をチョイスされたのは、なぜだったのでしょうか?

 

A. 普通の本、読めなくなってきたからでしょ。だから、真理の本じゃなきゃ、読めなくなってきた。

だいたい一ページ見たらわかるから。どの程度の内容が書いているか。

読めないわけ。あるでしょ、そういうこと。

 

Q.真理について見るのも、仏教書を選ばれたというのは?

 

A. 南無妙法蓮華経は泥沼の中の蓮の花。

私たちの心がどんなに汚れていても、実は、蓮の花、真我が本体なんですよって言っているわけ。

それは、真理と言えば、真理だけど。最近、私は逆のことを言っているけどね。天国だけど、泥沼。

真我のうえにカルマがあるんだから、天国の中に泥沼がある。泥沼も実は天国だってことに気づく。

病気によって、そういうことを気づくんだと。完璧ポスト、実は、そうでしょ。それも、天国なわけ。

 

Q.宇宙そのものの完璧と、認識で捉える完璧と?

 

A. 天国の中の泥沼は、まさに、寂光なわけ。寂光、すべて光なの。