ある聖者との対話⑤ 人生は、自分を認める作業?
【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】
真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。
しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.百人いたら、百人全員を、真我を開発するところまでいかないかもしれませんよね。
そしたら、苦しみませんか?
A. 誰かと比べたりしたら、苦しむ人もいるかもしれませんね。
私たちは、常に学校の成績も、誰かと比べるクセがついている。
でも宇宙から地球を観たときに、私はこう観えるんだけど、
他の人はどう観えるんだろうというのは、ナンセンスです。
自分がそのように観たときに、それでいいわけです。
Q.神から観たといいきって、書くだけで、その視点にいっている大前提なんですか?
A. 書くというより、捉える。書くだけじゃなくて、神という大前提でおいたときに、その視点になっているという前提です。
Q.人と対峙したときに、観る人が、よっぽど、神という前提がおちていないと、難しいと思うわけです。
神から観るという視点がなくても、神鏡できるんでしょうか?
A. できます。
Q.それは、その人が自覚していようが、いまいが、神そのものだからですか?
A. 誰でもできます。誰に対してもできます。
Q.誰に対してもできるし、誰でもできるとおっしゃっていますが、
実際難しいと言っている受講生の方もいるみたいですよ。
A. その人が、誰かと比べているから。
Q.皆さんやっているんですね。
A. 本人が認める認めないは別だけど。どこまでいっても認めなければ存在しなくなる。
Q.じゃ、認めればできるということ?
A. そう。認めればできる。人生は、自分を認める作業だから。
Q.まずは、こちら側から認めていって、こちら主体でいいんですか?
A. そうです。