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佐藤康行が、相手の神の力で癒すことに徹する理由①

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.自分の知らないことを否定するのは、無知を暴露するようなもの。

イエスが群衆に食べ物を与え、水上を歩いたり、水をブドウ酒に変え、病人を癒したことを語りながら、次の瞬間、このことを否定する人がいる。

イエスは偉大な大師であり、我々の知っている範囲以上を遥かに超えた偉大なこと、いくつも為されたのである。

その当時、存在した力は、今でも存在しており、今後もまた存在し続けるのである。

何となれば、その力は久遠にして、常在だからである。イエスは「信仰は山をも動かす」見せないと納得しないから、

見せるとも。佐藤康行は、物質化することに対して、それが何の意味があるのか、とも言われますね。

イエスは、久遠の実在があることを証明するために、見せたというニュアンスが感じられます。

佐藤康行はなぜこの力を、直接相手に使って、癒すということをせずに、相手の神を引き出すことの徹しているんですか?

なぜ、この力を利用しないんですか?

 

A. 利用したら、その部分だけになっちゃうから。今まで、本当にそういうことができる人を見たことがありますか?

 

Q.見たことはないのですが、書物などで、宇宙の原理があって、物質化できることを説明していたり、インドにも物質化できる方はたくさんいると。

一度、物質化はできるという前提においたときに、確かに意味はないかもしれませんが、

神にできないことはないので、それを証明する一つのこと、と言われれば納得する自分もいます。

 

A. 何をもって科学というのかということですね。私たちの生まれる、何百年前、何千年前は、

今やっていることは、皆、奇跡だと思います。何もかも奇跡だと思います。

だから、その時代から見たときには、そんなもの、あるわけないという認識でしょう。

素粒子的に捉えたときに、全然、物の捉え方が変わってもおかしくない。

それを、その場で何回でも再現できることができても、おかしくないわけです。

空中からダイアモンドが出せるなら、いくらでも出したらいいと思います。

もし、それが、人様のお役にたったり、命を活かすこと、ぱっとガンを治せたりすれば、

それを多くの人に伝えて、世の人を救ってあげたら、いいと思います。

私は真我で三十年間、それをやってきた人物なんです。

だから、必然的にそういうことに厳しくなるのは、致し方ないことだと思います。

なぜならば、私は、いくらでも嘘をつくことができますから。

例えば、橘さん、あなた病気になっているよ、私が消してあげるからって、はい、治ったってやれば。

そういう人、実際居ましたよ。病気があったことも、消されたこともわからない。

それで、代価をくださいと。あなたの病気を消してあげたんだよと。

 

Q.不安を利用したら、いくらでもできると思います。私もそうでしたから。

 

A. いくらでも、自由自在なんです。だから、私は厳しいんです。

私は、そういうこと、意識的にしようと思ったことは、一回もないです。

 

Q.今のお話を伺っていて、自分の使命として、

病気治しを全世界をまわってしていた人の自伝を読んだことがあるのですが、

佐藤康行は、自分ではそれをしないということが、違いではないかと。

 

A. いいところを捉えましたね。なかなか、そこに気づかないからね。