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ある聖者との対話⑥ 最も良きものの在りかは自分自身?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.以前、私が存在していた時代に、皆さん、どうすれば、それができたのかなと。

 

A. 前提におくから、普段、私たちはそういう瞬間がないじゃないですか。

「神という前提と」。だから、無いから、本人が消えちゃうような感じするだけで。

無いものは、なかなかキャッチできないから。

 

Q.だから、できるんですね。

 

A. できるんです。神に合わせるチャンネルがあって、アンテナがあったとしたら、

でも、その瞬間はそういう風にキャッチできるけど、日常に戻ったときには、

普通の娯楽番組にしか電波が届かなければ、元に戻ったようになるわけ。

それと同じみたいなもの。

 

Q.実際に、私や、佐藤さんが観た世界を観なければ、

皆さんに理解してもらうのは、無理なのかなと思っていたけど、できるわけですね。

 

A. できるという前提。そういうことだね。

 

Q.そのときに、私たちの役割をどう捉えていますか。

私たちは実相を観たという大前提においたときに。

私はできませんでしたが、皆さんを救うというつもりでやってきましたが。

 

A. 人間は、最も良きものを知らないうちに、求めている。

最も良きものを一挙に求めると思う。

例えば、明らかに、自分がガンになって、ガンが明らかに元から消えていって、

なお且つ黄金の自分が手に入ったとしたら、世界中の人がそれに飛びつくでしょ。

あと、それの在りかが、わかればいいでしょ。

 

Q.佐藤さん、その在りかはどこにあります?

 

A. 全部、自分なんです。

 

Q.自分の中にですか?

 

A. 中にじゃなくて、自分なんです。