人間界に降りるのはわかりやすくするため? わからなくてもOK?
【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】
真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。
しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してくるかもしれません。
もちろん、すばらしくです。
具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。
Q.生命エネルギーは愛の実践のみ。
生命エネルギー、イコール真我と言ってもいいかも、
というお話もありましたが、愛の実践の解説を。
A. これは、神のエネルギーと言ってもいいし、
生命でもおかしくないですね。ここで言う、生命は、まさに真我の生命だから。
ここに、真我の生命って入れたほうがいいかもしれない。
Q.愛の実践がよくわからなくて。
以前、真我のエレベータに乗ったら、何もしなくてもいいという表現もあって、
存在しているだけで目標達成してると。
A. 存在をエネルギーに変えればいい。
地下にエネルギー眠っているじゃない。
それを人間に役立たせようと思ったら、掘って、
それを何かに加工しなきゃだめでしょ。そういう意味。
地下に眠っていたら、単なる存在そのもの。
Q.真我の生命エネルギーになっていると自覚しているときが、愛の実践と?
A. 違う。私たちは何かを行動しようとするとき、確かなものがほしいじゃないですか。
だから、常に人間界に降りてきてるんです。
実相は人間界ではない。真我心経は、実相と人間界両方入っている。
だから、全然人間界を関係なくもできるんですよ。
そしたら、何やっていいか、わかんなくなる。
バイブルは、かなり人間界に降りないようにしてやってた。
真我心経は、少し、人間界に降りてる。
人間の言動、行いは愛を求める叫びなり。
人間がああだ、こうだって言っているのは、愛を求めているからですよと。
お金がほしい、出世したい。私のことを認めてくれって言っているんですよ。
病気になるのは、愛を求める叫びなんだと。
うつ病になるのも、愛を求める叫びなんだと。
Q.何がわけがわからなくなっていたかが、わかりました。
実相のことだけを言っているんだけど、
認識の世界のお話でわかりやすくしているから、
それで何かがわからないと感じていたのかもしれません。
A. わかったら、わかった分だけ解説が入っていいから。
橘さんのブログだから。
私の理解ですけど、って書けばいい。
Q.私は、この愛の実践を、自分の最善でやるということかと。
A. それだとちょっと浅くなっちゃうから、
愛の実践は、そのままでいいんじゃない。
Q.もちろん、そうなんですが、
愛の実践って何だろうと具体的に考えてしまうので。
A. わかろうとしたら、平凡になっちゃうわけ。
わからないものはいいんだというぐらいでも大丈夫です。
ノーベル賞をもらうIPS細胞だって、科学者でない人は、詳細は理解できないじゃない。
いいわけ、わかんなくても。