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迷ったら真我、いいこと・悪いことあっても真我、常に真我?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してくるかもしれません。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

 

Q.私たちの脳が発達して、無意識に神にNOを言ってしまっている、

宇宙の流れに沿っていない状態になっていると捉えていいですか?

 

A. そうね。常に地球で起きていることも、

人間がやっていることの鏡だと思えばいい。

 

Q.自分が心の中で、こんなこと思っていないと認識していても、

やはり見るということは自分の中にあるんでしょうか?

 

A. そうね。

 

Q.そうなんですね。その時は自分のことを振り返る必要があるんでしょうか?

 

A. この真我を知ったからには、それもあんまり必要ない。

 

Q.必要ないんですね。

 

A. しかし、その時こそ神鏡なんです。

鏡の法則だと、この顔じゃ駄目だなと反省しても、

せいぜい少し意識が深くなるか、それとも前より浅くなるかもしれない。

その時こそ神鏡で見たときに、それが、がらっと変わってくる。

 

Q.それは楽ですね。

 

A. だから、頂点だけやっていればいい。

後は、全部途中だから。迷ったら真我、いいことがあっても真我、

悪いことあっても真我、常に真我、私は、真我でとけないことは地球上にはないと。

お金の問題でも、YSコンサルタントもやっているし、医療もやっているでしょ。

全部やってる。できないことはない。男と女もやっているし。全部とけます。

 

Q.お話を聞いていると、認識と実相のお話が、私にはすごくわかりやすいです。

鏡の法則で見ると認識になってしまう。

 

A. そういうことです。

 

Q.迷ったら真我、いいことがあっても真我、悪いことあっても真我、

ということは、認識の世界ではなく、実相・神の世界、認識を超えた世界にいくという前提と捉えていいですか?

 

A. 鏡は見るなと。

見てもいいけど、向こうの神を見るための鏡であって、

見て、これは自分の顔だと固定されるわけです。その鏡を見て、

がっかりしたり、急に落ち込んだりする場合がある。

だから、向こうの神の鏡を見る。

 

Q.これは、とてもいいですね。

どこか、家族の問題でとか、誰が原因でとかなると、

鏡の法則をさせていることになりますね。

 

A. そうすると、だんだん、親のせいとかにしてくるわけです。

犯人捜しになる。私がこうなったのは、誰なんだということになる。

親がいっつも夫婦喧嘩していたから、私は結婚できないとか。

意味ないわけです。その原因を知ったところで。

親をうらむわけでしょ。

その時に、神に飛ぶしかないんです。

そしたら、誰も恨まなくなるんです。

 

Q.今までも伝えてもらっていたと思いますが、今のがわかりやすく感じました。