真我の涙は、神の涙と言っていい
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は3月31日(水)です。
Q.えっと、家で内観光受とか、朝と晩、こう、ずっと、2年以上続けているんですけれども、
どうしても、こう、マンネリ、って言いますか、慣れてくる、っていうかですね。
こう、涙が出る時と、出ない時と。
あとその、やっぱり、同じ内観光受でも、ワーッと涙が出る時と、何ていうんですかね、
同じ事をやっているんだけれども、出ない時とあるんですけれども。
これっていうのは、こう、毎回涙が出ない、出なくなる・・・。
佐藤康行.あんまり涙にこだわらなくって良いです。
この、涙にもね、色んな種類の涙があると思う。
喜びの涙、悲しみの涙、ね。悔し涙。いっぱいあるでしょう?涙。
幸せな涙。
でも、真我の涙は、そのどれでもないんです。
真我は神だから。
まぁ、神の涙といっていい。
だから、それが1つの、現れとして、涙として現れて出てきている。
まぁ、1つの分かりやすい象徴だと思えばいいだけで。イコールではないと思うんです。
と、捉えて下さい。
でも、それくらい、毎日ちゃんとやる姿勢は、立派ですよ。
是非、そこまで行ったんなら、真我を極める所まで行きましょう。