真我の免疫力は、どんなウィルスが来ても全く大丈夫
ブログは朝(7時37分)にUPします。次回は3月25日(木)です。
Q.本当に学長のお陰で、家族が幸せで、本当に、あの・・・、お陰様で。
佐藤康行.ほんとね。
Q.本当にありがとうございます。
Q.すごく、こんなに、ありがたくって、幸せなのに、なんか私の中で、
できている、できていない、ダメだ、ダメだ、っていうのが、
ちゃんと目の前の業務ができていなかったり、あの、できていない事があると、自分を責める気持ちがものすごく出てきて、
判断して、気が付くと何か目標設定したりとか、裁いたりとか。
佐藤康行.目標設定していいんですよ。それは、仕事ではね。この、私がさっき言ったのは、命の部分です。
命の部分と、仕事の部分は違うわけ。仕事は人間が作った、後から作った物ですけれど。
命は違いますから。人間が作ったんじゃない。
まぁ、その違いだけちょっと分かっておいて下さい。
Q.ごっちゃになっちゃっている事がいっぱいあって。
私の捉え方が命と仕事と混ざっちゃっている。
何か自分がどこからどう、捉え間違いをしているのか・・・。
佐藤康行.全然間違っていないと思いますよ。
今の所、ね、今、ちょっと違うな、と思う物は、今すぐね、修正したでしょう?
まぁ、良いですか?
ちょっと。因みにね、良いね?言ってね。
彼女は、あの、夫と、彼女もまぁそうなんだけれど、名古屋支部を、うちの真我の名古屋支部をやっていただいている。
で、もう最近すごい事が起きた。
それは何かって言うと、あの、彼女と今の夫も、一回おんなじ夫と、同じ妻と、離婚して、で、
その同じ人とまた再婚したんです。プロポーズし直された。
だから、同じ人に2回プロポーズされた。それで、結婚した方。
その同じ相手なのに、分かれて、再婚したら、全く別人になっているわけ。
別人と、別な人と結婚したのと同じ感じなの。普通、殆どあり得ないでしょう?
真我ではあり得るわけ。
まぁ、まずそういう事があって、その次にね、彼女の弟。
今、最近、私、よく話すんですが。
あの、あるね、名古屋の会社から、私、講演依頼があったの。
その時に、彼女の弟が、私の所に、目の前で、正座して、挨拶しに来たの。
「佐藤先生・・・。」
あの時は、癌だったんだっけ?
Q.いや、まだです。
佐藤康行.まだ、違っていたんだね。
「私が、無精子なんです。」
「精子がないんです。」
「だから、結婚しても、子供ができないんです。」
と言ったの。
だから私、自分では忘れちゃったんだけれど、「精子なんか1匹あれば妊娠するんだ。」ってどうも言ったらしいんです。
で、そうしたら、同じ会場にね、別な女性が、その時はまだ知り合いじゃないんですよ。
別な女性が、私の所に挨拶しにきて、「私は結婚したいんですけど、なかなかできないんですけれど・・・。」
っていう、ね。
その2人が会って、その場でもう、仲良くなっちゃった。
で、もうこれは3年位前ですから、今、子どもできて、3歳なの。子供、走り回っているの。この間、大阪へ行った時。
で、子どももできたわけ。そして、そのステージ、癌だったんです、彼。
無精子であるし、癌だった。ステージ4だったから、骨髄まで癌が転移して。
それが、その部分、癌が全部寛解して、そして、子どもができて。
2つの命が同時に生かされたわけ。
で、その癌が治って、病院から退院した時に、いきなり、次の日に、30ぐらい注文が来たんだって。
ね、そうだね。30ぐらい、いきなり、次の日よ。
信じられないでしょう。
仕事はうまくいくわ、子供はできたわ、命は助かったわ。
そして家族が1つになった。
その前にね、家族で1回私の面談をした事があるの。やっぱり、こう、戦いの連鎖みたいなのが見えた。
で、彼の目が、こう、吊り上がっていた。その時、癌だったんだね。
で、癌が消えると同時に、家族が完全に1つになって、ものすごく仲の良い家族になった。
ですよね。もう人相も、こう、吊り上がっていた眉毛が、優しい顔になった。
全部、仕事も全部同時に、子どもも、癌も消える。全部同時に良くなってゆく。
もう、すごい、すごい話しです。
で、この間、大阪で、大阪支部で私がセミナーをやっている時に、その家族みんな。
そのお父さん、お母さんは、ご自身ね、Hさん、彼女のお父さん、お母さんが来てくれて。
で、その息子、癌が治った息子に、「お前、佐藤先生の所に、ね、ちょっと行ってこい」と。
で、力になってこい、って言う。
もう、交通費も、宿泊費も全部出してあげるから。って、今度、月末来る事になったの。
親が全部面倒見てくれるから、って言ったんだね。
もう、これはすごい話しです。
だから、癌を消す免疫力。
また、精子を作るひとつの免疫。
だから、この真我の免疫力。
これを、私達人類は、最もそこに目覚めて強化していく。
どんなウイルスに囲まれても、全然もう、全く大丈夫だ、っていう、そういう命にする。