人間の脳は、神の自然法爾の世界を捉えられるかもしれない?
【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】
真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。
しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.それでは、天国の泥沼は、啐啄同時の世界に飛ぶ…。
A. 正しくいうなら、泥沼はないんです。夢ですから。ないんです。
Q.啐啄同時は、どんな…
A. 啐啄同時という言葉に入っていっちゃうと、本当の啐啄同時ではなくなるわけ。
理解しやすいように、鶏と雛の話をしたりするけど、そういう部分のものじゃなくて、すべてがそうだということです。
人間の心臓が、毛細血管まで血液を送る。血管を全部広げると、地球二周分くらいすると。
この位の濃度で、毛細血管まで流れるんですよって、もう決まっているわけ。
それは、人間の意志とは、関係ない世界なわけ。
Q.では99.9%頭の世界で…。
A. いや100%夢の世界。
Q.でも人間の体システムは、神の啐啄同時なんですよね。それを含めると…。頭で考えている夢の世界。
A. そういう風にとらえる頭があると。
Q.頭では啐啄同時や自然法爾を捉えられないんでしょうか。
A. 自然法爾をね。でも、それも私たちの頭で捉えているのは、間違いないよね。
自然法爾の力が、私たちの脳にもあるかもしれない。だから、私たちが思う脳ではない。何か違うものが働いている。
それは、すべて脳の作用、という風に捉えたときに、すべて、そうなるようにできていると。
Q.自然にピッタリいったな、と捉えるのも、脳ですよね。
A. そういうことです。
Q.それに気づけたってことは、解脱したってことでしょうか?
A. 解脱をどう捉えるかですよね。私は仏教で説く解脱もありますね。でも私はそうではない。