日別アーカイブ: 2015年8月11日

人間の脳は、神の自然法爾の世界を捉えられるかもしれない?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.それでは、天国の泥沼は、啐啄同時の世界に飛ぶ…。

 

A. 正しくいうなら、泥沼はないんです。夢ですから。ないんです。

 

Q.啐啄同時は、どんな…

 

A. 啐啄同時という言葉に入っていっちゃうと、本当の啐啄同時ではなくなるわけ。

理解しやすいように、鶏と雛の話をしたりするけど、そういう部分のものじゃなくて、すべてがそうだということです。

人間の心臓が、毛細血管まで血液を送る。血管を全部広げると、地球二周分くらいすると。

この位の濃度で、毛細血管まで流れるんですよって、もう決まっているわけ。

それは、人間の意志とは、関係ない世界なわけ。

 

Q.では99.9%頭の世界で…。

 

A. いや100%夢の世界。

 

Q.でも人間の体システムは、神の啐啄同時なんですよね。それを含めると…。頭で考えている夢の世界。

 

A. そういう風にとらえる頭があると。

 

Q.頭では啐啄同時や自然法爾を捉えられないんでしょうか。

 

A. 自然法爾をね。でも、それも私たちの頭で捉えているのは、間違いないよね。

自然法爾の力が、私たちの脳にもあるかもしれない。だから、私たちが思う脳ではない。何か違うものが働いている。

それは、すべて脳の作用、という風に捉えたときに、すべて、そうなるようにできていると。

 

Q.自然にピッタリいったな、と捉えるのも、脳ですよね。

 

A. そういうことです。

 

Q.それに気づけたってことは、解脱したってことでしょうか?

 

A. 解脱をどう捉えるかですよね。私は仏教で説く解脱もありますね。でも私はそうではない。