生命の営みに降参しなければ、心の病や社会の問題点は扱えない?
【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】
真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。
しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.真理を言葉で表すのは限度があり、それが観念化すると。
A. そういうことです。
Q.本にのせることは方便と。
A. そういうことです。
Q.私は、日常生活に活かすには真の愛と慈しみをもってと伝えていました。
佐藤先生のいう真我の実践のことです。あるグループ同士で、真の愛と慈しみをもたず、敵対しあっている。
実在に近づこうとしているのに。馬鹿げていてナンセンスだと思う。
ほとんどの人は元々ある自分の記憶の中から、実在を表現しようとする。
A. 人間の肉体だけで捉えると、肉体には全部営みがあるじゃない。
髪の毛も伸びているし、皮膚が入れ替わっているし、目も自動調整になっているし、意識しなくても匂いはするし、耳だって意識しなくても音は聞こえるし。
食べたものは消化吸収しているし。心臓は休まず血液を毛細血管に送っているし。すべての営みがあるじゃないですか。
ケガも自動的に治してくれているし。なぜ心臓が動いているか、正確に本に書ける人がいると思いますか?
読んだ人はまた自分の脳で解釈する。この脳だって動かしているのは、自分たちじゃないんです。
過去読んだ本や話を元にして聞いている。それも自分の考えじゃないでしょ。
そのように、体ひとつとっても、誰も正確に書ける人はいないでしょ。書けると思います?そんな本がありますか?
Q.ないので、私は認識できないものと。
A. そうでしょ。ゆえに、生かされているものを、自分と指さしたっておかしくないでしょ。
常に実相は存在しているわけ。それを何かに変えて表すことはできないわけ。
もう、降参するしかないわけ。それに対抗して考えるとか、やるとかいうこと自体が、ありえないことをしている。
Q.でも、皆、それに気づいていないと思います。それを、私は自我のはたらきなんだと、全部くくって言っているんですが。
でも、じゃ、どういう状態が神に降参なんだとわからなくなると思います。
A. その観点をやらなきゃね、今の心の病や社会の問題点は扱えないわけです。
わからないのにやっているっていうのは、むやみやたらにやるのと同じなわけです。
お医者さんも、むやみやたらにやる手術はまずいでしょ。