自分の色がでないで「佐藤康行をやること」が真我に合わせること?
【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】
真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。
しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.私が佐藤康行になりきるのが通訳になっていくんですか。
A. 橘さんも、私ではないでしょ。だから、橘さんができれば、私じゃない人でもできるようになって、それが通訳になるじゃない。
私の話を、外国の人だったら、この方も通訳できたら、ほかの外国の方も通訳できるかもしれない。
でも、私のそのままだったら、中々通訳できない可能性がある。
Q.通訳いらずの佐藤康行を通訳するってどうなりますかね。
自分の自我がでてこないで、真っ新で佐藤康行の通訳ができるといいですね。
A. ここに橘さんがいるでしょ。私がここにいるでしょ。すーと橘さんの背中を抜けて、口からすーと出せる。まさに透明ですよ。
この光がずーと透明で、ここに橘さんが入らない。透明だから。そこに色が入ったら、その色で出るわけ。
Q.そうなんですよ。
A. その色にならないで、すーと出てくる。
佐藤康行の真我に合わせるってそういうことかもしれないね。
Q.男女話なのですが、私が以前見たことがあるものには、純粋な愛情をもっている場合には、男女関係になったときも相手の不調和な波動は受けないとか…。
でも佐藤康行は性の欲求は神実現欲求だと言っていますね。
A. そうね。私は人間の意思の話をしていないんです。人間だけがそのように考えるんであって。
動物はそのようなこと考えてないですね。人間以外はすべて強姦なんですよ。
Q.その観点がなければ救われない人はいっぱいいますね。
A. ずっとトラウマをもっている人もいるわけです。そこの一番真ん中、神だけをやったら、両方救えるわけ。
それに合わせた何かを作っていくんです。強姦を肯定しているわけじゃないんです。夫婦でも、相手が望んでなくても、というのがあるでしょ。
どこまでがそうなのか。人間が作った結婚というシステムの中ならいいのか、ということになっちゃうでしょ。