親の無償の愛は、いろいろな形で顕れる?
【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】
真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。
しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.2 講座の中で自動書記になって、お母さんの気持ちが出てきたことがあって。
お婆ちゃん(自分の母嫌)と関係が良くなかったんですが、その関係は、息子を導くためのものだから、この関係のままでいいんだって出てきて、これは無理だなって思いました。
A. そうじゃなくて、お母さんの最大の愛なの。自分は悪者でもいいわけ。大悪党のままでもいいわけ。
息子が救われるなら。私を許さなくてもいいよって言っているわけ。
Q.2 許さなくていい、じゃなくて、許しちゃだめよと。
A. 究極の愛。無償の愛。お母さんは、その無償の愛をわかってくれるだけでいいわけ。
わかってくれるだけで、十分救われるわけ。
Q.2 何しても、のれんに腕押しみたいな感じで。
A. そうじゃなくて、反対のことをやってる。許しちゃだめよって言ってるのに、許そうとしている。
Q.2 これ以上は、どうにもならないかなって思っているんです。
A. どうにかなりますよ。
Q.1 お母さんは許さなくていいと。許さないままでいいのか、そういっても許すのか…。
A. 許す、許さないってことじゃないんです。真我はそういうものではない。
許す、許さないという、自分の認識、意識にこだわっているわけ。それは、どちらでもオッケーなんです。
まだそれが、ひっかかっているね。許しちゃだめよって言われたとき、もうだめだと終わらせちゃっている。
そうじゃなくて、そこからスタートなの。親は、もうお前は家から出ていけって言っているのに、息子が家に戻って、親を救おうとしている。
親は、鬼だ、蛇だと言われても、蹴っ飛ばしても、息子を追い出そうとする。
なのに、息子はお父さんが心配だから、お母さんが心配だからって、それも繰り返している。
息子に何と思われてもいいんだと。ぜんぜん、食い違っている。