月別アーカイブ: 2015年8月

目の前で神の命を顕わすことが、神に対する絶対的な誠意?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.極致の認識から上を観て、著すのは逆システムということになりますか?

 

A. そういうことです。

 

Q.真理を言語化は、限度があるのかなと。前提以上の表現はない?

 

A. ないんです。今のところ、それに勝る言葉ないんです。

 

Q.逆システムで腰を何とかしたいです。

 

A. 人間になりきり、女性になりきったときに、それも解決していくという前提なんです。

 

Q.人間になりきる、女性になりきる…

 

A. だって、そうなんだから、何も問題ない。

 

Q.佐藤康行は、目の前の人が真我を開くことの導き手をやってきたと。

真理を説いても、それを生身の人間で証明することをやっている人は、私は知らないですね。

 

A. 私は一人で勝負しているわけ。自分は本当にやるかやらないか。

神に対しては絶対な誠意でやらなければいけない。絶対的な誠意じゃなきゃ。

目の前で顕わすことしかないわけ。神の命を。