月別アーカイブ: 2015年8月

ある聖者との対話Ⅲ④ 理解できなくても神前提でいくと満月顕現?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.1 私は弟子に対して、神を独り占めにしていないかと話をしたことがあります。

それは、思いの実現や、社会に役立たせることに神を利用しようとしたと。それは実在を顕現することにはならないと。

 

A. 神を人間を救うために使うと。救う、救わないではなくて、神という前提に私はこだわっている。満月という前提にこだわっている。

満月は三日月を治してやろうとか、救ってあげようという発想そのものが違う。満月は満月であり、真ん丸であり。

その真実を、自分が理解できようが、できまいが、そこを前提としてやっていくことによって、三日月が消えていって、満月になるんだということです。

 

Q.1 でも、神は満月を悟らせようという意志はないんですよね。

 

A. どちらでもいいんです。人間が地球にずっと住もうが、絶滅しようが。

だって、神の世界は死なない世界だから。永遠不変という大前提だから。

 

Q.1 それでも、神という前提を使ってもいいってすごいですね。

 

A. 全然オーケーじゃない。川の流れに沿ってもいいし、逆らってもいいだろうし、それは全部自分に戻ってくる世界。

 

Q.2 私は真我の実践など考えたり、唱えたりしているとき、神を手段にしてしまっているようなときがあると思います。

 

A. 手段にしちゃだめじゃないけど、使い道が減ると思います。一千万の力が一しかでない。

あの太陽を使うっていったら、太陽より大きく使えないじゃない。だから、太陽そのものを受け入れる。太陽を無限のエネルギーだと受け入れるんであって。

太陽を利用して、何かをエネルギーを使おうというとすると、自分で使えれる範囲内でしか使えないわけ。

でも利用してもいいんですよ。太陽パネルを用意して。

 

Q.2 自分が良くなってもらおうと意図しなくても、お手伝いしたら、想像以上に回復したりする例がありまして。

これは自然法爾なのでしょうか。

 

A. 自分が自然法爾に手伝っていると思えばいい。それが一番いいわけ。

川の流れに自分の櫂が手伝っていると思えばいい。川の流れに手伝うわけです。そういう感じです。

本来は治す力に協力するのがいいんじゃないかと。