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ある聖者との対話Ⅲ②方便の世界と、それとは関係ない真理の世界と?

【 佐藤康行との対話ブログを読むときの注意点です 】

真理、実相は具体的ではないので、抽象的なこと、わからないことをやっています。

しかし、毎日読んでいると、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

具体的なことは、営業やお金、クリニックの本で、電子書籍もいれると150冊著しています。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.心は実在を捉えられない。実在に近づく道は真の愛と慈しみとお伝えしていました。

佐藤先生は実在に近づくということが間違いだとおっしゃられるかと思うんですが。

 

A. その通りです。

 

Q.肉体があり、この世で生きなければならないといったときの方便として、佐藤先生は真我の実践だとか、方便で言っているんですか?

 

A. 相手が肉体をもって、今までの学んできた脳で捉えるから、それに合わせなければ、目の前の方をそこに導くことはできないでしょ。

 

Q.私は、真の愛や慈しみによって日常に活かせると言っていますが、それでいいでしょうか?

 

A. こういう分け方したらどうですか。思いが実現する世界と、社会の中で活かすという世界と、完全にそれとは関係なく真理だけの世界と。

こういう三つも分け方をしたらどうでしょう。

 

Q.三つに分ける。思いの実現と社会に活かすを一つにしてもいいですか?

 

A. いいですよ。二つに分けても。

 

Q.私が言っていることは、社会に活かすに入っているんですね。

 

A. 厳密に言うと、思いの実現と、社会に活かすは別だよね。

 

Q.この思いは、自分の思いの実現でいいんですよね。

 

A. 社会が求めてなくても、思いが実現するってあるじゃないですか。