宇宙から観たら、どういう営みをしているかわかった?
Q.質問できるのは、私の我が強いからでしょうか?
A.両面じゃない。
Q.両面?
A.そういう我もあるかもしれないけど、
逆に無限を知っている自分がいるからね、
質問を出しては消え、出しては消え、やっていて、それが心地いいんじゃない?
消されるのが、心地いいんじゃない?
Q.それはあるかもしれません。
A.私は自分の知識のものは一つも言っていないよ。
質問に対して答えているだけだから。
Q.どの次元のものでも答えられる。
A.「 無限次元から。そういう数字の世界じゃないから。 」
でも、普通は質問がなくなるよ。
Q.私にとっては、悟りのときの、「 わかった 」ひとつとっても、
わからないので質問が出てくるんです。
A.わかったっていうより…。そういう学問的な捉え方じゃない。
「これから先、全部大丈夫だ。わかる」そういう感じだね。
その、わかったという瞬間は、今から三十年近く前にあった。
でも、今でもやっぱりそうだと。
だから、何々をわかったというのではないわけ。
「宇宙にいって、そこから観たら、どういう営みをしているかわかったと。」
あとは、これを解説していくだけだと。そういう感じ。
その営みを、私の目は顕微鏡にもなるし、望遠鏡にもなるし、
あらゆる目に自由自在になれるから。
その物語を表面化して本にも出せる。
本なんて、年間、四~五百冊くらい出せるなと。
顕微鏡から観たものでも、望遠鏡から観たものでも本にしていいし。
自由自在なわけ。
それが、わかったという瞬間なの。
Q.それが、わかったという瞬間の具体的なことなんですね。それでは、その具体的なことは、佐藤康行がいう黄金の蔵から出てくるという感じですか?
A.そうだね。