日別アーカイブ: 2015年10月2日

宇宙から観たら、どういう営みをしているかわかった?

Q.質問できるのは、私の我が強いからでしょうか?

 

A.両面じゃない。

 

Q.両面?

 

A.そういう我もあるかもしれないけど、

逆に無限を知っている自分がいるからね、

 

質問を出しては消え、出しては消え、やっていて、それが心地いいんじゃない?

 

消されるのが、心地いいんじゃない?

 

Q.それはあるかもしれません。

 

A.私は自分の知識のものは一つも言っていないよ。

質問に対して答えているだけだから。

 

Q.どの次元のものでも答えられる。

 

A.「 無限次元から。そういう数字の世界じゃないから。 」

でも、普通は質問がなくなるよ。

 

Q.私にとっては、悟りのときの、「 わかった 」ひとつとっても、

わからないので質問が出てくるんです。

 

A.わかったっていうより…。そういう学問的な捉え方じゃない。

 

「これから先、全部大丈夫だ。わかる」そういう感じだね。

 

その、わかったという瞬間は、今から三十年近く前にあった。

 

でも、今でもやっぱりそうだと。

 

だから、何々をわかったというのではないわけ。

 

「宇宙にいって、そこから観たら、どういう営みをしているかわかったと。」

あとは、これを解説していくだけだと。そういう感じ。

 

その営みを、私の目は顕微鏡にもなるし、望遠鏡にもなるし、

 

あらゆる目に自由自在になれるから。

 

その物語を表面化して本にも出せる。

本なんて、年間、四~五百冊くらい出せるなと。

 

顕微鏡から観たものでも、望遠鏡から観たものでも本にしていいし。

自由自在なわけ。

 

それが、わかったという瞬間なの。

 

Q.それが、わかったという瞬間の具体的なことなんですね。それでは、その具体的なことは、佐藤康行がいう黄金の蔵から出てくるという感じですか?

 

A.そうだね。