認識の世界を越えたいがために、真我を追究している?
【 佐藤康行 生の声 ありのまま そのまま 】
質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!
アンサーはすべて佐藤康行が答えています。
繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.肉体の命は終わっても、永遠に生きることを知っていても…。
A. 毎日、一緒に住んでいる人が、しばらく海外に行って、
何か月か海外に行って帰ってこないといったら、さみしいでしょ。
Q.さみしいです。
A. それと同じだと思ったらいい。その命版だと思ったらいい。
Q.じゃ、真我と認識を分けたほうがいいんですか?
A. うん、そうだね。そういうこと、分けたほうがいいね。
Q.私は、それがごちゃごちゃになっているんですね。
A. 真我は永遠の命で、認識は、私たちの捉え方ですから。
Q.愛別離苦、生老病死を超えたくて、真我を追究し、真我を開くことによってそれを消す。
認識の世界を超えたいがために、真我を追究してるんでしょうか?
A. そういうことだね。
Q.でも、もう到達していると。
A. もう、到達している。
Q.人間の認識のところでは苦しいから、追究しているんですね。
A. そういうことだね。
Q.そうなんですね。
悲しみは愛の変形だから、いいわけなんですね。
A. もちろん。