日別アーカイブ: 2015年12月6日

認識の世界を越えたいがために、真我を追究している?

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.肉体の命は終わっても、永遠に生きることを知っていても…。

 

A. 毎日、一緒に住んでいる人が、しばらく海外に行って、

何か月か海外に行って帰ってこないといったら、さみしいでしょ。

 

Q.さみしいです。

 

A. それと同じだと思ったらいい。その命版だと思ったらいい。

 

Q.じゃ、真我と認識を分けたほうがいいんですか?

 

A. うん、そうだね。そういうこと、分けたほうがいいね。

 

Q.私は、それがごちゃごちゃになっているんですね。

 

A. 真我は永遠の命で、認識は、私たちの捉え方ですから。

 

Q.愛別離苦、生老病死を超えたくて、真我を追究し、真我を開くことによってそれを消す。

認識の世界を超えたいがために、真我を追究してるんでしょうか?

 

A. そういうことだね。

 

Q.でも、もう到達していると。

 

A. もう、到達している。

 

Q.人間の認識のところでは苦しいから、追究しているんですね。

 

A. そういうことだね。

 

Q.そうなんですね。

悲しみは愛の変形だから、いいわけなんですね。

 

A. もちろん。