日別アーカイブ: 2015年12月16日

全部、ひとつしかない。ひとつの私しかない?

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.キリストが私を指すのに、三つあると。

 

歴史上の人物としてのキリスト。

 

万人に内在する私と。

 

超越する普遍神と一体なる私。

 

したがって、創造主としての私。

 

ここで、創り給うたものを指して言っているのかと思ったのですが。

佐藤康行は創造主まで含めず、私と言っているんですか?

 

A.それは、人間の認識だね。

 

全部ひとつしかないわけ。

真我は創造神であり、肉体も真我であり、心も真我の変形だし、すべて、ひとつしかないわけ。

 

肉眼で見たら、この肉体が見える。

心眼で見たら、心が見えるでしょ。

 

真眼で観たらそれ、また変化するでしょ。

 

全部、ひとつしかない。ひとつの私しかない。

 

Q.創造主までは指せないですか?

 

A.同じなんです。真我だから。真我も創造そのものだから。

 

創造主ってつくられたんじゃなくて、顕れているんだから。

 

真我はつくられたものじゃない。

 

真我は顕れている姿。

 

Q.神の創造には触れられないということとの違いは?

 

A.私たちの、この肉体と、心の世界を持っているから、触れることはできない。

 

Q.でも、肉体がなくなっても触れられない?

 

A.肉体がなくなったら、私たちの意識では触れられない。神だから。

 

Q.よくわからないです。意識がある私たちでは触れられないということですか?

 

A.そうです。私たちの五感では触れられないということです。

 

Q.もし、肉体がなくなって、共通意識になったら?

 

A.肉体があっても、なくなっても同じなわけ。