全部、ひとつしかない。ひとつの私しかない?
【 佐藤康行 生の声 ありのまま そのまま 】
質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!
アンサーはすべて佐藤康行が答えています。
繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.キリストが私を指すのに、三つあると。
歴史上の人物としてのキリスト。
万人に内在する私と。
超越する普遍神と一体なる私。
したがって、創造主としての私。
ここで、創り給うたものを指して言っているのかと思ったのですが。
佐藤康行は創造主まで含めず、私と言っているんですか?
A.それは、人間の認識だね。
全部ひとつしかないわけ。
真我は創造神であり、肉体も真我であり、心も真我の変形だし、すべて、ひとつしかないわけ。
肉眼で見たら、この肉体が見える。
心眼で見たら、心が見えるでしょ。
真眼で観たらそれ、また変化するでしょ。
全部、ひとつしかない。ひとつの私しかない。
Q.創造主までは指せないですか?
A.同じなんです。真我だから。真我も創造そのものだから。
創造主ってつくられたんじゃなくて、顕れているんだから。
真我はつくられたものじゃない。
真我は顕れている姿。
Q.神の創造には触れられないということとの違いは?
A.私たちの、この肉体と、心の世界を持っているから、触れることはできない。
Q.でも、肉体がなくなっても触れられない?
A.肉体がなくなったら、私たちの意識では触れられない。神だから。
Q.よくわからないです。意識がある私たちでは触れられないということですか?
A.そうです。私たちの五感では触れられないということです。
Q.もし、肉体がなくなって、共通意識になったら?
A.肉体があっても、なくなっても同じなわけ。