佐藤康行が揺らがない、下がらないことでなぜ変化する?
Q.同じ現象を見ても、感じるものが人それぞれ違うということですね。
A.ここを、どう伝えるかだね。
ここまで追究したんだから、その、カルマ鏡で終わっちゃったら、
佐藤康行のここで、学んでいる意味がなくなっちゃう。
その辺の心理学の鏡の法則になっちゃう。
でも、そこで留めておくのはいいんですよ。
ここでやっていることを落としてから伝えると、全然違いますから。
ちょっと余裕が出来ますから。グッと。ちょっとじゃない、大いなる余裕が出来る。
私が、全部、即興で答えられるのは、そこがあるから。
何でも即興、どんな人が来ても、すぐ究極があるから。
その一番の真我の部分を、やってく。
最近ね、○○さんは一発でアルコール依存症が治ったんです。こうやって話しているだけで。
△△さんも、薬を止めないと死ぬかもしれないと。
それがどんどん減っていって、夫婦仲も良くなり、全部ワーッとユートピアになろうとしている。
会話しているだけで。もう、驚くよ。なぜなのかというとね、私はその究極をおさえていくから
私は絶対揺るがないんです、こうやって話していても。
こうやって話しているとね、揺るがないわけです。
揺るがないっていうのは、そちら側に同調しないわけです。
なぜならば、同調しなくて、一番いいものと同調しているから。
だからね、真我の同調はしているけど、カルマの同調はしていないから。
だから、巻き込まれないわけです。ってことは、話をしていると、どうなるかっていうと
相手は変わるしか、なくなっちゃう。私は何も、そのまんま。
相手は自ら変わらざるをえなくなる。私は絶対引き下がらないから。
話しているうちに、向こうが変わらざるをえなくなる。
だって、今こうやって話していると、橘さんが変わるしかなくなる。そうでしょ。
だんだん、話していると、そうだ、そうだって。
これを、単なる議論で、そちらの意見に従うかもしれないと。
それは、もう揺らぎなんです。それは揺らぐから、迷いが出てくるわけです。
だから、この真我でいくと、迷わない、揺らがないわけ。
こちらが、一歩も下がらない。だから、そちらが変わるしかない。
だから、皆、良くなっていく。