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動いていないのに、動いて見える? 神から見れれば存続できる?

Q.神鏡で変化をすると、現実には動いているように見えるという表現がありますが、

本来は動かざる在しかないんだけど、自分の心のフィルムが変わり、

スクリーンに映る姿が変わったから、動いているように見えると捉えていいですか?

 

A.そういうことです。現象が変化しているように見えている。

私たちの五感で捉える認識の世界で。そこのところちょっとわかりづらいけど、

真我心経である程度言っていますけど、H2Oはどんな状態でも変わっていないわけです。

雨でも雲でも。海でも川でも。それが、正に、在の世界なんです。

しかし、雨が川になったり、動物の体内に入ったり、霧になったり、雲になったりする。

H2Oは海になったときと雲になったときと、違って見えるでしょ。

それは私たちの認識で変わって見えるだけで。それに、海とか川とか雲とかって名前をつけただけなの。

私たちの目には違って見えるけど、H2Oは何も変わっていないわけ。

 

Q.H2Oは何も変わっていないで、在なんだ、ということは何となくわかるんですが、

人間が、人間を卒業するとなると、認識自体も、より客観的に見れるようになるんでしょうか?

 

A.客観的に見えるし、物事の捉え方が違うと、私たちの出る発想も違ってくるんです。

作るものも変わってくるわけ。そして人対人の対応も違ってくるわけ。

人対いろんな生物との対応も違ってくるわけ。その変わった部分でやると、

じゃ、どういう風に変わるかっていうと、存続のほうに変わってくるわけ。

地球上のいろんな生物が住めないように変わっていくのと、

存続して住るようになっていくのと、常に2種類私たちに与えられているわけ。

例えば、病気になったときに、どんどん進行してこの世から去る方向に向かっていくのと、

治っていっていずれ消えていくのと、2つの力が常に働いているわけ。

どちらの力のほうに向かっていくか。

私たちがどちらの意識にのっていくかで違ってくるわけ。