真我に目覚めること以外は対症療法?我で救おうとしている?
【 佐藤康行 生の声 ありのまま そのまま 】
質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!
アンサーはすべて佐藤康行が答えています。
繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.神我、キリストの魂にふれなければ、本当に助けたことにはならないと。
A.例えば、泥沼の中であえいでいる人がいる。
実は、自分も泥沼の中であえいでいる。
「 その人を助けようと引き上げても、自分の足もとも泥沼だから、同じように泥沼なわけです。」
同じ泥沼の中の人が助けようとすると。
あくまでも、上からロープをたらして、上げればいいわけです。
そうすれば、その泥沼の中には、自分も相手もいないんです。
だから、もう、落ちる必要はないわけです。
Q.なるほど。自分の意識で助けようとすると、同じ泥沼に…。
A.そう。「 上は、まさに、真我に目覚めた人だと思ってください。」
「 下は自分の我の中で、相手を救おうとしている。」
Q.我の中で(驚)
A.どっちが救われても、おかしくないんです。
相手が大変だと思って救おうとしていても、逆さまになってもおかしくないわけ。
どっちが、どっちかなんて、似たり寄ったり、五十歩、百歩なんです。
目くそ、鼻くそなんです。
Q.お客様に対して、自分なりの最善でしていても、真我に目覚めるお手伝いはしていないわけで。
A.泥沼から手を差し伸べても、また泥沼に入って。
天に上げちゃったら、もう、泥沼はないわけ。
Q.泥沼で泥んこ遊びしているようなものなんですね。
A.対症療法としては、いろいろなことが必要なときもありますね。
ほとんどが対症療法。
Q.佐藤康行しか、真我の目覚めのお手伝いはしていないと思うので、
そういうことになるんですね。