神から観た 驚愕のキリストの十字架の捉え方
【 佐藤康行 生の声 ありのまま そのまま 】
質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!
アンサーはすべて佐藤康行が答えています。
繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.キリストを救い主として受け入れるのをこばんだのは、なぜだったのでしょうか?
私は、こばまれたので、十字架にかけられることになったのかなと。
A.キリストが本当の真理だったら、こばめる人は世界にいないわけ。
こばんだように動いていた人はいたかもしれないけど。
こばんでいる人はいないわけ。
Q.本当は、そうだったんですね。
A.「 我でしか捉えられない人には、真我の人はわからないわけ。」
ゆえに、「 人間はわからないものには恐怖を覚える。」
そういう対象物を抹殺しようとするわけ。
しかし、もっと深い捉え方をしたときに、我の力のひっかかりで、全体に戻る。
キリストが全体に戻るために十字架にかけるお手伝いをしたの。
Q.そうなんですか(驚)
A.本人たちは、もちろん、わからないですよ。
そういうことを手伝っているとかって。
恐怖の中でやっているだけなの。
自分に、天につば、みたいなもの。
Q.そうなんですか。
A.そういうことです。
Q.十字架ににかけられていたときに、キリストが、神よ許したまえ、
この方たちは自分たちがしていることがわからないのですと。
A.そういうことです。
本当は手伝っているのに、わからないんだと。
だから許したまえと。
Q.えっ(驚)では天の動きだったのですか?
A.結論的にそうじゃないですか。
十字架にかけられたことによって、あれから何千年たっても、キリストは残っているじゃないですか。
Q.ああいうことがなければ、これだけ残っていたかはわからないんですね。
A.真我の目覚めが、究極の聖書であり、仏典だということなんですね。