日別アーカイブ: 2015年11月9日

神から観た 驚愕のキリストの十字架の捉え方

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.キリストを救い主として受け入れるのをこばんだのは、なぜだったのでしょうか?

私は、こばまれたので、十字架にかけられることになったのかなと。

 

A.キリストが本当の真理だったら、こばめる人は世界にいないわけ。

 

こばんだように動いていた人はいたかもしれないけど。

 

こばんでいる人はいないわけ。

 

Q.本当は、そうだったんですね。

 

A.「 我でしか捉えられない人には、真我の人はわからないわけ。」

 

ゆえに、「 人間はわからないものには恐怖を覚える。」

 

そういう対象物を抹殺しようとするわけ。

 

しかし、もっと深い捉え方をしたときに、我の力のひっかかりで、全体に戻る。

 

キリストが全体に戻るために十字架にかけるお手伝いをしたの。

 

Q.そうなんですか(驚)

 

A.本人たちは、もちろん、わからないですよ。

 

そういうことを手伝っているとかって。

 

恐怖の中でやっているだけなの。

 

自分に、天につば、みたいなもの。

 

Q.そうなんですか。

 

A.そういうことです。

 

Q.十字架ににかけられていたときに、キリストが、神よ許したまえ、

この方たちは自分たちがしていることがわからないのですと。

 

A.そういうことです。

本当は手伝っているのに、わからないんだと。

 

だから許したまえと。

 

Q.えっ(驚)では天の動きだったのですか?

 

A.結論的にそうじゃないですか。

 

十字架にかけられたことによって、あれから何千年たっても、キリストは残っているじゃないですか。

 

Q.ああいうことがなければ、これだけ残っていたかはわからないんですね。

 

A.真我の目覚めが、究極の聖書であり、仏典だということなんですね。