満月を基にした三日月は相対じゃない?ないから相対はない?
【 佐藤康行 生の声 ありのまま そのまま 】
質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!
アンサーはすべて佐藤康行が答えています。
繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。
もちろん、すばらしくです。
ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!
Q.佐藤康行が存在そのものを観たときは、体感ではなかったんですね。
A.体感といえば、体感だけど、わかった、と言ったほうがいいね。
Q.わかった…。
A.そういうことだったのかって。そういう感じだね。
Q.そのときは、完全に自我はなかった。
A.それは、わからないね。
「 この世の中のすべてのことが、わかったっていう瞬間だった。」
本も毎日でも出せると。
Q.それが、すごくおもしろいんですが、満月がわかったら、三日月の具体的なことまでわかっちゃうと。
A.三日月がわかるというよりも、満月を基にした三日月といったほうがいいね。
満月を基にした三日月は、相対じゃないんです。
絶対を捉えたときに、相対そのものが消えていく。
満月と三日月は相対でない。
昨日見た三日月と、今日の三日月は違うわけ。
それは、相対。
自分の目で見たもの同士は相対。
「 満月を捉えたときに、三日月そのものは存在しないんだから、」
「 三日月そのものが存在しないってことは、相対がないということ。」