日別アーカイブ: 2015年11月15日

自分も神、相手も神でも、その奥の大元まで指していない?

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.人間すべてを神、といったときに、私を操っている人にまで指さしていないというお話がありました。

 

A.動かしている人じゃない。

 

Q.「もと」ですね。

 

A.操り人形そのものには意識はない。

 

人間を動かしている「もとのもと」があるでしょ。

心臓を動かされている、橘さんを指さしているけど、その奥の大もとまで指さしていないと。

 

Q.それでは、神霊体と言ったときに、神体の部分だけ真我ですか?

 

A.それでいいです。

 

Q.でも、霊体も神の顕れとしたら、真我なのかなと。

 

A.そうね。ひとつの顕れというか。

 

顕れは、五感、六感で捉えた世界のことをいっている。

顕れだから。

 

顕れているから、三日月なんです。

 

肉体も全部、三日月なんです。

 

ある一部が顕れているだけなの。

三日月ないんだから、相対そのものがない。

 

例えば、三日月が湖面に映っているとしたら、湖面にも、三日月に映るわけ。

そうすると、こちらの三日月とこちらの三日月って相対になるわけ。

 

でも、それはないわけ。

 

空にある三日月と、湖面に映る三日月と、それを見ている自分の三日月とあるわけ。

 

それはどこまでいっても相対の世界なの。

 

満月になったときに、湖面にも満月映るし、自分の目にも満月が映るわけです。

 

その瞬間に、もう三日月はないわけです。

 

どの三日月もなくなるわけ。

 

空にある三日月はないし、湖面に映る三日月もないし、自分の脳で捉える三日月もないわけ。

 

Q.それは、実相から観たらですよね?

 

A.実相から観たらというより、実相という存在が顕れたとき。

 

三日月を認識と捉えたとしたら、それは消えるわけ。

 

神から観たっていうのは、満月から観たら、三日月は消える。