日別アーカイブ: 2015年11月21日

無個性から捉えたときに、個性は無限にはたらく?

【 佐藤康行 生の声  ありのまま そのまま 】

質問をぶつけることで、佐藤康行の生の声をお届けしています!

アンサーはすべて佐藤康行が答えています。

繰り返し読むことで、知らないうちに自分の認識が変化してきます。

もちろん、すばらしくです。

ブログは毎日、朝(7時3分)・昼(12時37分)・夕方(17時37分)、3回UPしています!

 

Q.聖霊降臨の中にすべての答えがあると。

 

A.聖霊降臨は魂の目覚めと。心の学校では、真我の目覚めといっている。

 

Q.魂も聖職者の魂、いろいろな魂と分けたほうがいいですか?

 

A.魂を太陽としてみたら、どこに太陽が降りてこようが、

 

太陽の光であることには間違いない。

そういう感じ。

 

Q.魂イコール真我といっている?

 

A.そうです。

 

Q.み霊といわれるものは魂を現しているんですかね?

 

A.それは、その書いている人が言っていることだから。

 

み霊は真我を個性化したものを言っているんじゃないですか?

 

Q.佐藤康行が言う、魂イコール真我は無個性の真我を指しているんですか?

 

A.無個性から捉えたときに、個性は無限にはたらくわけ。

 

個性からいったら、個性は個になっちゃうわけ。

 

太陽を浴びている私たちと、太陽そのものは別にしたほうがいいね。

 

Q.別にしてほうがいいんですね。

私たちは真我であり、神なんだけど、佐藤康行のいう、操り人形の例がわかりやすいですかね。

真我以外のものはないと言われると、一緒くたに思ってしまうのですが。

 

A.一緒くたにしてもいいし、操られていると捉えてもいいし、どちらでもいいんです。

 

変幻自在、方便自在に、その状況や相手に合わせて、わかればいいわけ。

どちらも同じです。